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大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)183号 判決 1983年9月01日

原告

増田大史

右法定代理人親権者父

増田尊行

同母

増田洋子

右訴訟代理人

川原俊明

被告

松島病院こと松島磐

右訴訟代理人

前川信夫

主文

一  被告は、原告に対し、金一一〇万円及びこれに対する昭和五七年一月二四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は第一項にかぎり仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一請求原因1の事実、同2(一)の事実及び被告が原告の右上腕部の牽引を行つたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告が被告病院において右牽引を受けた後原告の右手首親指下の皮ふ表面に傷がつき、これが直径二ないし三センチメートルのケロイド状の醜状痕となつていることが認められる。

二<証拠>を総合すると、以下の事実が認められる。

1  原告は、昭和五四年一二月二一日、自宅で遊んでいるうち誤つて椅子から転落して右上腕を骨折し、翌二二日、被告の診察を受けたところ、右上腕顆上骨折と診断された。被告は、原告の右受傷部位を徒手整復したうえギブスで固定し、抗腫脹剤や消炎鎮痛剤を投与し、引続き通院を指示した。その後被告は、同月二九日、来院した原告を診察したところ、右骨折部位にやや変型があり整復が不十分であつたため、牽引によつて整復をはかる必要を認めて原告に対して入院を指示し、原告は、同日被告病院に入院し、同日から昭和五五年一月七日までの一〇日間牽引が実施された。

2  被告が実施した牽引は、ギブスを除去したうえ右腕前腕肘部付近から手指の先端の外側に至るまで幅約四センチメートルのスポンジ製のドラックバンドを手掌側とその背面側に手の先を包み込むように環状に装着し、前腕肘部付近と手首よりやや上部付近の二か所においてドラックバンドの上から幅約五センチメートルの絆創膏を巻きつけてドラックバンドを固定し、ドラックバンドの先端に牽引鈎を掛けて、これに二キログラムの荷重をかけて滑車を利用して牽引するというものであり、このような手技方法は骨折の治療、整復上、一般的に行われているものである。

3  右牽引は、通常は昼夜を通じて大体二週間を標準にして行うが、牽引の荷重や患者が腕を動かす力によつてドラックバンドを固定する絆創膏が多少ずれる場合のあることは避けられず、このずれが大きくなり牽引の実効が保てないときは絆創膏による固定をやり直すこともあるが、右のずれが大体五センチメートル以内にとどまる場合は経過観察するのみで、絆創膏は取りかえないのが一般的であるが、皮ふが弱い人の場合は、絆創膏がずれた状態のままで牽引を続けると、右のずれによつて皮ふに軽度の損傷がでることもある。

4  原告の父親増田尊行は、原告入院後同年一月五日まで原告に付き添つて看病していたが、牽引を開始して二、三日後からドラックバンド自体がわずかではあるが外れてきている状態になり、二か所の絆創膏固定部位のずれが大きくなり、その結果、右手首やや上部の一か所だけの支えで右腕を吊り上げる状態となり、原告がしきりに右手首の痛みを訴えるので昭和五四年一二月三一日ころ、被告病院の看護婦に、原告が痛みを訴えるので包帯をまき直して欲しい旨頼んだが、一度固定したらやり直すことはできないと断られ、原告に対して鎮痛剤の投与はなされたものの、固定をやり直すなどの措置はとられなかつた。昭和五五年一月二日ころ、一度包帯を一部まき直したことがあつたが、この時もずれていた絆創膏固定をやり直すことはせず、原告の右腕は相変らず手首付近の一か所で吊り上げられる状態で牽引が続行された。

5  牽引を開始して一〇日目の同年一月七日、被告は原告を診察したところ、骨折部位の整復状態は良好となつたため牽引を止めることとし、ドラックバンド及び絆創膏を取外したが、その際右前腕部の数か所に傷ができており、とくに右手親指の下部の絆創膏で固定していた部位の跡には直径2.3センチメートルの皮ふの剥離が認められた。そこで、被告は抗生物質等を含んだ治療薬のソフラチールをその剥離部分に貼付する処置をなし、右腕はシーネで固定した。

6  原告は、同月一〇日、被告の指示に従つて退院したものであるが、被告は、原告の退院時に皮ふ剥離部分にソフラチール貼付の処置を施し、原告の母親に対し、理学療法による治療のため引続き二、三日後に来院するように指示し、絆創膏による傷痕については、水泡が一皮むけるけれど心配ないと説明しただけで、退院後の治療としては、専ら右腕のマッサージによるリハビリテーションが必要である旨を伝えた。原告の母親は、マッサージの必要のためにのみ通院が必要であると考え、原告の父親にもそのように伝え、そのため原告の父親は、自分も野球をしていて骨折やマッサージの経験があつたため自ら原告にマッサージを施せばよいと考えて被告の指示どおりの通院は行わなかつた。原告は、同年二月二日になつて被告病院に行つたが、このときは原告の右前腕部にあつた数か所の傷は治癒していたものの、右手首の絆創膏固定によつて生じた皮ふ剥離部分は乾燥して少し赤みを帯びている状態になつていた。

7  ところが、原告の右手首の傷は治癒せず、その後次第に盛上つてケロイド状態となり、同年九月一六日、原告が次に被告病院で手首の傷について診察を受けた時には、直径二、三センチメートルにわたつて肉がひきつつて隆起し、表皮が赤みを帯び丸くなつてケロイド症状となつており、被告はこれをみて、原告の母親に対し、皮ふ移植手術によるしか右傷痕を治す方法がない旨説明するとともに、右原因についてケロイド体質によるものかもしれないと述べた。原告の父は、昭和五六年三月に原告を伴つて右ケロイドの傷痕の除去について郷里にある久留米大学病院の皮ふ科で診察を受けたところ、形成科での手術を勧められた。なお、原告は、被告病院を退院後右手首付近に新たな外傷を負つたことはない。そして、原告の右手首のケロイド症状は、現在では一応固定しているがこの間、アロエという薬草を二回塗布したことがあるほかはとくに治療を受けたことはない。

右のように認められ<る。>

三前記一及び二の事実によると、原告の右手首のケロイド症状は、被告が原告の骨折治療のため牽引を行つた際に発生した皮ふ剥離が原因となつて生じたものと認めるのが相当である。被告は、右原因は被告の特殊なケロイド体質にある疑いがある旨主張するが、<証拠>によつても、右ケロイド体質という言葉は単に傷痕がケロイド状になりやすい人を漠然と示す意味で使われているにすぎず、かかる体質を有するか否かを判定する方法もないことがうかがわれるうえ、原告は右手首の他にも牽引の際の絆創膏固定により前腕部に数個の傷を負つたが、これらはいずれも短期間のうちにケロイド症状を残すことなく治癒していることは前記二で認定したとおりであり、<証拠>によると、原告は、本件傷害以前にも怪我をしたこともあつたが、傷痕がケロイド状になつたことはなかつたことが認められるから、原告の右手首のケロイド症状が専ら原告の特異体質に起因するものと認めることはできない。

そこで、被告の診療過程に不適切な点が存したかについて判断する。

前記二で認定した事実によれば、原告は右上腕顆上骨折により被告の診療を受け、ギブスでは整復が不完全であつたため牽引療法を受けたものであるところ、ドラックバンドと絆創膏による牽引に際しては、皮ふの弱い患者については、ドラックバンドを固定する絆創膏のずれにより絆創膏の直下の皮ふに多少の損傷が生ずる場合があるものの、これも表皮が剥離する程度のものに過ぎず、後々まで傷痕が残ることはないのであるから、右の表皮剥離等をもつて一般に牽引に不可避な副症状ということはできず、医師としては牽引療法を行うに際しては患者の皮ふの状態等によつては固定具による皮ふの損傷の生じうることを当然予想し、患者の主訴等にたえず留意し、右の表皮剥離等皮ふの損傷を生じないよう固定具のずれ等に注意して牽引を行い、そのずれが生じたときにはこれを是正する措置を講ずるべきはもとより、これが発生したときには直ちに相当な手当てを講ずるなど、適切な診療を行うべき注意義務があるといわなければならない。

しかるところ、前認定によれば、原告は、被告病院入院後牽引を受けたが、二、三日してドラックバンド及び絆創膏にずれが生じ、このずれが大きくなつて右手首の後日ケロイド症状を惹起した部分の絆創膏の粘着力ないし抵抗だけで右腕全体を吊り上げている状態となり、途中包帯のまき直しがあつたものの右状態は牽引を中止するまで続いていたのであるから、右部位には常時相当の力が加わつたものと推認され、これが原因で右部位に水泡、表皮剥離を生じ、やがてケロイド症状となつて固定したものというべきところ、原告はドラックバンド及び絆創膏がずれてきたころから右腕の肘から上部分にかけて特に痛みを訴え、原告に付添つていた父親もこれを被告病院に訴えて包帯のまき直し等適切な処置を要求したにもかかわらず、被告はこれを放置し牽引の際腕の一部分のみに異常に力が加わることを防止する適切な処置を行わずに牽引を続行し、水泡の破れによる表皮剥離については比較的簡易な手当てを行つただけで、保護者に自然に治癒するであろうと安心させ、これが将来増悪しあるいは治癒したとしても傷痕として残ることのある可能性について保護者に注意をなさず、その結果として、原告の保護者も自然治癒を信じて医師の診療を受けさせずにいるうち、ケロイド症状の傷痕が残存する結果となつたもので、被告には、原告に対する診療契約上の債務の履行につき不完全な点があつたといわざるを得ない。したがつて、被告は、原告に対し債務不履行に基づく損害賠償義務を負うというべきである。

四次に、被告の右債務不履行により原告が蒙つた損害について判断する。

1  治療費 五〇万円

原告法定代理人増田尊行尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告のケロイド状の醜状痕を消去するには皮ふ移植手術が必要で、原告法定代理人らは原告に右の施術を受けさせることを計画しており、右手術には五〇万円の費用を要することが認められる。

2  慰藉料 五〇万円

原告法定代理人増田尊行尋問の結果によれば、原告は受傷してから現在に至るまでケロイド状の醜状痕を気にして日常生活や学校生活のうえで悩んでいることが認められるが、他方、原告の保護者においても医師による早期治療の時機を失した一面の存することは否定できず、また、右傷痕は将来適当な時期に皮ふ移植手術を受ければかなりの程度回復すること、その他原告の年令、性別、傷痕の部位、程度などの諸事情を考慮すると、右原告の精神的苦痛に対する慰藉料は五〇万円とするのが相当である。

3  弁護士費用 一〇万円<以下、省略>

(山本矩夫 朴木俊彦 荒井純哉)

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